帝国の料理
〜多様性への寛容が、偉大な料理を生み出す〜
冬月真弘


トリュフとフォアグラのコンソメスープパイ包みエリーゼ風・・・ポール・ボギューズがディスカールデスタン仏大統領主催のエリーゼ宮での晩餐会のために考案した、ボギューズ最盛期を代表する料理である。

 
 
 世界各国の多種多様な料理法を比較するにあたって、『帝国の料理と王国の料理』という考え方がある。
 『王国の料理』とは、あくまでその土地の食材を主に使用し、料理法もその土地の文化風習に根ざしたものであることで、つまりは郷土料理的なものをさす。
 対して『帝国の料理』とは、古代ローマや中国の歴代王朝がそうであったように、食物・文化が育まれる気候・環境まで本国とは全く異なる属領を広大に保有する大帝国が、その優れた交通網を駆使して各地からその土地の珍味・料理法を収集し、いわば帝国の偉大さの象徴として、宮廷料理という形でそれらを融合あるいは混合し、皇帝の御前に供されるものである。
 この分類法からいえば、例えばフランスと中国、共に大陸に位置する二つの大国の料理は、遠方の珍味を愛好すること、また宮廷料理として発展した歴史から、共に『帝国の料理』と呼ぶに相応しい、と多くの人が考えるだろう。
 しかしその国土と人口の違い、また表面的な差異とは関係なく、実際には二つの国の料理のあり方、形成状況には大きな隔たりがある。中華料理が『帝国の料理』であることは誰もが認めるところであろうが、フランス料理とは人類の長い歴史の中では比較的最近まで『王国の料理』であり、それを今日の姿に変えたのは、単に歴史的偶然の連続と、諸外国からの、悪い表現をすれば卑屈ともいえる料理法の模倣だった。
 フランス料理の料理法とはそもそもイタリアから輸入されたものであり、レストランでのサービスのスタイルはロシアから学んだものに由来している。
 あの一皿一皿、一人分の料理が運ばれてくる、今では誰もが当然だと思っているフランス料理のスタイルとは、元はといえばロシアの宮廷料理が最初に行なったことであった。


       
 パリのグランメゾン『ローラン』のフォアグラのソテー(左)と、鳩のロースト(右)。フランス料理において、『皿』とは完結されたひとつの世界であるが、この思想はロシアの宮廷料理からもたらされたものであった。


それまでのフランスでは、大テーブルの真ん中に出された大皿の料理に、めいめいが持ったナイフで自分の分を獲得するという、今日の大学生の飲み会の風景と大差ない野蛮な食卓が正式なスタイルだったのである。フランス料理のテーブルマナーが一皿を数人でシェアすることを「行儀が悪い」と極端に嫌うのは、かつての己自身の姿へのコンプレックスともいえる。

 そしてそれまでは白茹での牛肉に塩を振って食べていただけのフランスに、『料理』というものをもたらしたのは、イタリア・フィレンツェのメディチ家である。メディチ家が統治するトスカナ王国とはイタリア中部の山間の国家であるから、肉料理偏重の料理風俗である。今でこそフィレンツェの市場で豊富に見られる魚介類も、当時は塩漬けぐらいしか手に入らない。またたった数十キロ北に行くだけで作られている生ハムも、パルマとは政治的に敵対していたこともありフィレンツェには入ってこなかった。このメディチ家の料理法の因子をそっくりそのまま受け継いだのが、実はフランス料理なのだ。北部南部ともにあれほど魚類が豊富であり、また国民も海の幸を多分に愛しているにもかかわらず、正式な料理に魚料理が少なく、あったとしてもムニエルにさらに焦がしバターソースを使ったような、とても新鮮な食材相手に思いついたとは考えられない重厚な料理法なのもそのせいである。そしてフランスに生ハムは未だに無い。今日日本のフランス料理店が前菜でメロンと共に供する生ハムはどれもイタリアかスペインのもので、そもそもフランス料理の正式な前菜に生ハムは存在しない、邪道なのである。


       
 左はフィレンツェの郷土料理、トリッパ(牛の臓物)のトマトソース煮込み。他にビステッカ・アラ・フィオレンティーナ(フィレンツェ風牛のTボーンステーキ)がフィレンツェ名物として有名。右はフィレンツェ市街の遠景。トスカナ王国は山に囲まれた内陸部の国家で、料理も肉食が主体だった。


 またハムとソーセージはドイツからの輸入文化だ。1871年の普仏戦争の際、ドイツ系の文化を持つアルザス・ロレーヌ(ドイツ語発音エルザス・ロートリンゲン)の住民がパリに逃れ、それまでフランスではあまり評価されてこなかったビールが飲める店、すなわちブラッスリー(今日ビストロと並び、日本でもてはやされているフランス料理店形態の一つだ)を開いて、急速に広まった、いたって新興の文化といえる。あの有名なアルフォンス・ドーデの『月曜物語』におさめられた短編『最後の授業』で、最後の授業に臨む国語教師の思いつめた表情や、あの感動的なクライマックスを通して訴えかけるフランス語を母国語として愛してきたかの地の住民がそれを奪われたなどという話が、実際は現地の事実を一切無視した、フランス愛国心を鼓舞するための神話に過ぎないことは、アルザス人の間で流通していたのはドイツ語系の方言であるということを説明するまでもなく明らかである。かつてドイツハプスブルク家の都ウィーンがオスマントルコ軍の第二次包囲を受けた時、一番に救援に駆けつけたのはロートリンゲン公の軍勢であった。アルザス・ロレーヌとは、食においても言語においても全くのドイツ文化なのである。


       
   ハムとソーセージは元来ドイツの文化だ(右は独ミュンヘン、ホーフブロイハウスの仔牛の白ソーセージ。バイエルン地方の郷土料理である)


 そして、70年代に入ってポアンやその弟子ポール・ボギューズが開花させ、フランス料理の繁栄を一時現代に蘇らせたヌーベル・キュイジーヌ、すなわちカロリー過多だったそれまでの伝統的フランス料理に代わり、食材に必要最低限の火しか入れない、あっさりした味わいと軽いソースの組み合わせという現代人に相応しい、新しいシンプルなフランス料理というスタイルは、残念ながらそのはるか以前から新鮮で優れた食材を求めてきたイタリア料理の模倣に過ぎない観が否めない。昨今、日本は勿論フランス本国でさえも、フランス料理と看板を掲げる多くの店が料理にトマトを多用し、パスタを出しているのが現実である。


       
 フランス・ベルギーの中間にあるルクセンブルク大公国にて。左は羊のローストにラタトィーユと温かいトマトを添えたもの、右はいわずと知れたトマトとモッツァレラチーズ。今やトマトはフランス料理に欠かせない食材だ。


 極論してしまえば、フランス料理にオリジナリティは存在しないとさえ言える。
 では、対して中華料理とは何か。
 中国の料理を単一の料理法として語るのは、決して適切とはいえない。
それはフランス国内で北フランスの正統派料理と地中海文化圏に属するコート・ダ・ジュールの料理が異なっているどころのレベルではなく、それこそ一つの国の中に複数の王国があるような、独立した料理体系が林立している。
 俗に四大料理と称される北京料理、広東料理、上海料理、四川料理だけでなく、近年は湖南料理、山東料理なども、少しずつではあるが日本でも紹介されるようになってきた。
 これら独自の優位性をもった料理の全てが取りまとめられ、融合されるのが都の宮廷料理であり、『中華』だ。
 歴史を通じて北部にたびたび侵入してきた異民族達の料理文化も、その渦の中に吸収され、同時に影響を受けて変容した。
 中国の文化を前にそれを変えることに成功した来訪者は、未だに存在しない。変容させる前に、自分自身が変容してしまうからだ。
 例えば元王朝を立てたモンゴル族は、羊を主食とする遊牧民時代からの文化を、中国でも維持しようとした。
 実際、現在北京の名物料理の一つとなっている羊の焼肉は、このモンゴル支配の名残である。しかし肝心の元王朝はといえば、北京を占領するや否や主食を羊から漢族と同じ米に変えてしまった。
 勿論これは漢族への懐柔策ともいえるが、モンゴル族に漢族文化への憧れがあったことも確かである。
 事実元代に流行した、油を使いニンニクをたっぷり入れた料理法は、元は中国南方の文化であった。
 満漢全席という言葉があるが、これは元々清王朝の時代に、満族の官僚が地方に赴任した際、現地の有力者である漢族と親睦を深めるために考え出された両族の料理法の共演で、ひとつの宴の中に満と漢の料理を同数出した、満族を接待するために漢族が考え出したものがきっかけだ。
 異民族に支配されても怖気づくことなく、むしろ自分達の文化を積極的に売り込んで飲み込んでしまおうという、漢民族のたくましさを象徴するエピソードである。
 美食家としても有名な乾隆帝が江南を視察して様々な美味珍味を都に持ち帰っていた頃になるとこの満漢全席も最高潮に達して品数もエスカレートし、南菜と北菜54種ずつの南北の料理108種、それに満族の点心を44種加えた規模が正式となった。
 また今日中華料理の代表格として有名な珍味、フカヒレは、最初清では食されていなかった。
 女真族は内陸の遊牧民だった歴史から、海産物を嫌ったのである。彼等はアニミズムを信仰し、羊や牛、駱駝のような大地に根ざした食材を尊んだ。
 しかし、都に定着するとやがて、フカヒレは勿論、ナマコ、アワビ、ハマグリといった海の幸を珍重するようになる。
 北京は内陸部にあるので海産物はとても貴重なものであり、それゆえ一種のステータスシンボル、贅を極めた宮廷料理の華となったほどだ。
 このように支配者の変化にも動じず、むしろ支配者を変容させ、独自の進化を続けてきたのが、中華料理なのである。
 フランス料理の歴史が導入・引用の歴史であるならば、中華料理の歴史は融合の歴史であった。
その国の料理は、国家の性格にも繋がってくる。
古代より中国は、アジアの政治・経済・文化の牽引者であり、多様な周辺アジアの諸文明に対して寛容なアジア圏全土の頼れる父であった。
ただ中国が大国だからでなく、その大らかで対外的には侵略や強制よりも委任を外交の柱とした中国の性格ゆえである。
もしも大国である中国が、中世ヨーロッパのキリスト教のような画一的な教義を他者に押し付ける偏狭で独善的な性格の国だったら、今日のアジアの多様性は無かった。
鄭和に大航海をさせた明の永楽帝の政策が持続していれば、アジアがヨーロッパに植民地化されることは無かっただろうとさえ言われている。
我々の国日本も、その国家形成の過程で、中国から受けた恩恵は計り知れない。
 しかし、19世紀からの欧米列強による侵略、そして前世紀の中華人民共和国の成立を経た現在、この大国の包容力ある精神が変容しつつあるのではないかと、多くの識者が危惧している。
 フランスは戦後ド・ゴールの下で東西冷戦のイデオロギー対立という二極構造に組しない柔軟な外交で、ヨーロッパの凋落の流れに逆らって世界の大国としての地位を再構築した。
 戦後同じ道を歩もうとした中国が、しかし今日『大人の大国』としての品位を損なうような行動を多くとっていることは、隣国の人間としては残念なことこの上ない。
今日中国は世界大国としての地位を放棄し、地方大国として振舞っている感がある。
 日本との関係、東アジア全体との協調、アメリカとの関係、そして国内の諸問題の解決。これらの問題への解決において中国がかつての賢者の姿勢を取り戻さなければ、中国がどれほどの軍事力・国土・人口・経済力を持とうとも、将来の世界において指導的な立場につく国の一つとなることは難しいだろう。
中華料理。
この柔軟でかつ深慮な料理文化で全世界に尊敬される偉大な国家が、その賢明さを政治・外交にも反映させてくれることを、切に望みたい。


仏リヨン市内、ポール・ボギューズ本店にて、食後のフロマージュのワゴンサービス。
リヨンは中世に中国から輸入した蚕を養殖し、絹織物の産地として栄えた。今日国際社会で正餐として供されるフランス料理のレシピも、中華料理からの影響を少なからず受けていることは、あまり知られていない。


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