長田豊臣『南北戦争と国家』(東京大学出版会、1992年)書評

 

平成19年6月 冬月

 

 学生が地域政治・国際政治の別を問わず政治史を学ぼうとするにあたっては、難解な理論や哲学でびっしりと埋め尽くされた文献よりは、より内容が明快で歴史を躍動的に感じられる戦記などの方が容易に理解でき、かくいう私もこうした課題では戦争に関係する書物を取り上げてお茶を濁す傾向がある。今回選んだ本も、その理由は題名に『南北戦争』と書かれていたからだが、読んでみるとその題名から受ける印象は全く異なる内容に驚かされ、感銘を受けた。

 

本書は南北戦争をテーマにしているが、いわゆる戦記ではない。事実文中に北軍と南軍の戦闘について詳しく記述した箇所はほとんど無く、僅かに導入部分にさわり程度の記述が認められるのみである。本書が主題としているのはそうした戦闘ではなく、むしろその後方に視点をおき、『南北戦争と国家』と題名にあるように、南北戦争がアメリカ合衆国という国家の体制にとってどのような意味を持ったかを考察している。

 

考察を始めるにあたって筆者は、我が国の一般的な南北戦争研究を支配している分析視角を批判しており、極めて興味深い。我が国の一般的な見方とは南北戦争不可避論、特にビアード・ハッカー流の「北部産業資本主義と遅れた前資本主義的生産様式である南部奴隷制との間の歴史的必然の対立」の図式であると記述されている。これに対して筆者はアメリカの経済発展が一定期間南部の綿花収入にほぼ全面的に依拠して展開されており、南部の綿花価格とその輸出の動向がアメリカ経済の発展の速度を規定していた事を指摘し、それゆえ南部奴隷制は北部産業資本主義の発展の阻害要素であったのではなく、むしろ実体は逆に北部の資本主義的発展を補完し、加速する役割を果たしていったのだと結論付け、これを南北戦争の正確な理解のための基本的前提の一つだとしている。

 

 私は高校時代受験勉強で通った駿台予備校の世界史講義で、南北戦争を、工業が発達し保護貿易を望む北部と、綿花輸出のために自由貿易を望む南部との経済的対立による必然として発生した戦争であると教わった。

 

このような図式は、小学校の社会の授業以来ここに至るまで我々に押し付けられ続けたイデオロギー的に偏った歴史観にうんざりしている私を含めた多くの受講者にとって極めて新鮮で正鵠を得る理論であり、これをカリスマ講師が極めて理路整然と解説するのを聞きながら教室を見回すと誰もが納得してうんうんと頷いていた。ただ少数のアメリカからの帰国子女らしい女子が目を真っ赤にして憤慨し、講義終了後そのカリスマ講師に駆け寄って何事かをまくし立てていたが、ともかく大勢はこれに納得していた。

歴史認識において白紙である幼い日々に我々が最初に南北戦争について聞かされるのは、まず間違いなく南部奴隷制の道徳的是非を巡るイデオロギー的なパースペクティブから作り上げられた物語であり、その物語の中ではストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』がもはや創作ではなく半ば事実として語られ、エイブラハム・リンカーンの生い立ちや青年時代にニューオリンズで彼が目撃する衝撃的な体験などが、英雄譚として描かれている。こうした物語では、南北戦争は単純に奴隷解放戦争と定義されている。

 

南北戦争を本書がどのように定義しているかはこれから述べるが、少なくともこの戦争が奴隷解放戦争でなかった事は、リンカーンが実際は奴隷解放に慎重であった事からも、開戦にあたって北軍の目的を「連邦の維持であり奴隷制の解体ではない」としたクリッテンデン決議からも明らかである。南北戦争では奴隷州でありながら連邦に留まって北部に味方した州もあり、この戦争が奴隷州と自由州という単純な軸で行われたわけではない事を示している。リンカーンは連邦の結束のためにこうした州への政治的配慮をする必要があった。リンカーンが奴隷解放を宣言したのは、多分に英国の介入を恐れての牽制である。また、アメリカが今日のように、道徳的価値観の追及は戦争するに足る価値があると考えるようになったのは、20世紀のウィルソン主義以降であって、それを考えてもこうした物語がつくられた歴史だと言う事が理解できる。

 

奴隷解放戦争でもなく、そして経済戦争でもないのであれば、南北戦争とは何だったのか。筆者はこれを、独立以降諸州の自治に任せた緩やかな連合としての性格が強かったアメリカ合衆国が、その政治体制を近代的な中央集権国家へと変貌させたステート・メーキングとして捉えている。

 

筆者によれば、1861年の分離宣言で南部が合衆国に突き付けた問題は、そもそも合衆国は国家なのかという基本的問題だった。アメリカ合衆国とはそもそも、18世紀にヨーロッパで進行しつつあった国家機構の組織化(the organizational qualities)を拒否する事から生まれたとするステファン・スコウロネクの主張を筆者は紹介している。特にアメリカ独立革命は、当時イギリスで進展しつつあった、より中央集権化し、より専門化し、社会の細部まで浸透していく近代的国家機構へ巻き込まれる事への拒否であった。アメリカ人が「圧制」と呼んで拒否したものは、具体的には常備軍であり、中央集権的課税権限であり、権力の中央集中であり、地方の権利を否定する事であり、誕生しつつある官僚集団であった。

 

また筆者はハンティントンの主張も紹介し、こうしたイギリスの近代的国家機構への抵抗の論理として、独立したアメリカが中世チューダー期のシステムとイデオロギーに依拠したと解説している。アメリカ人は権力の集中化による強い国家よりも、市民の自由を重んじようとした。そのため誕生したアメリカ合衆国は意図的に主権を分割し、その所在を曖昧にし、権力を分散し、政府の機能は様々な諸機関に分掌されるように工夫された。合衆国の主権は13州にそれぞれ分掌され、州はそれぞれ独自の統治機構、法律、法執行機関を持って州としての保全(integrity of the state)を保証され、市民を実質的に統治していたのは連邦でなく州だった。こうした州の優越の象徴が、南部奴隷制だったといえる。一つの国家の中で、奴隷を禁じる法律と、奴隷を容認する法律が並立してあった。

 

そこには自由と共に、国家としての脆弱さがあった。主権の存在が曖昧で、中央政府としての連邦政府の権限と権威は不明確であり続けるし、機構としての国家も未成熟なままにとどまらざるをえない。国民という概念も成立しない。主権の所在を巡る論争、アメリカの住民の法的地位とその基本的人権を規定し保証する権限は、最終的には連邦政府に帰属するのか、それとも個別の州の権限領域に属するのか、そもそも市民はまず合衆国国民なのかまず州民なのかという、国家主権と国民の権利義務を巡る基本的な問題について、アメリカ人は連邦結成以来、一貫して直面する事を避け続けてきた。統一国家から得られる便益は享受するが、統一国家による束縛は排除したいという想いがそこにあった。

 

南部はその分離宣言の中で、連邦(Federal Union)はそれぞれが主権を持った独立した州の緩やかな連合(Federation)に過ぎないのであり、盟約の条件が損なわれた時には加盟諸州はいつでも分離する権利を有すると宣言した。この分離宣言を支える論理は合衆国が主権を持った国家である事を明確に否定して、主権は州にあり、連邦(Union)は単に州の代理(agent)に過ぎないのであり、その権限は盟約を維持していくに必要とみなされる、限られた範囲のものであるという憲法解釈を前提としていた。

 

それに対してリンカーンに代表される連邦政府は、合衆国は紛う事なき一つの国家であり、その主権はそのもとにある州の全てに及ぶと主張した。もし百歩譲って諸州が1789年の前には独立した主権を持った存在であったとしても、連邦加入に際してその主権は放棄していると解釈されるべきであり、連邦を離れて州は存在しないとし、その立場を次のように説明した。

 

「諸州は連邦の中にあってのみ、州として存在しうる。それ以外にその法的地位はない。州が連邦を離脱するとしても、違法行為としてか、革命として以外にそれをなし得ない。州は連邦内で合衆国憲法によって留保されている以外の権限は何も持たない。連邦を離れて州は存在しないのである」

 

その上で筆者は「いかなる国家の憲法といえども、その国家の解体につながる分離の権利の合法性を認める事はありえない。何故なら、統一の原則なくして国家は存続し得ない事は自明の原理であるからである」と補足説明している。

 

分離宣言を巡る憲法解釈論争に象徴されているように、南北戦争は1789年、紛糾を極めた各邦の憲法批准騒動によってやっとつくりだされたアメリカの政治体制の解釈を巡る戦いという側面があった。読んだ私の感想を述べるなら、ここでの南北戦争では、南部は奴隷の抑圧を継続するために戦ったのではない。それはシンボリックなものでしかなかった。根本的な政治体制を巡る戦いと定義するならば、南北戦争とは、アメリカ人が自由を求めすぎたために起きた戦争だった。

 

冒頭で述べたように本書は戦記ではないが、戦記に似た側面はある。筆者が本書の大半を割いて記述している、この時代の出来事がある。それは前線での戦闘ではなく、その後方で起きていた徴兵への暴動、反乱鎮圧のための連邦政府の財政権を巡って議会で繰り広げられた論戦、そして私有財産の概念を政府が規定する事への市民の反発だ。南北戦争では、自由を求め抑圧を嫌ってかつて英国と戦ったのと同じエネルギーが、今度は連邦政府への反発として流れたのである。

 

合衆国憲法は主権を持った一つの統一国家と一つの国民を創りだすのか、それとも連邦は南部が分離宣言で主張するようにそれぞれが主権を持った諸州の緩やかな連合に過ぎないのかという問題は、憲法制定以来の論争であったが、連邦議会も裁判所も問題が起きるたびにその場しのぎの妥協を繰り返し、根本的解決を避けてきた。南北戦争は、その曖昧さの弊害を決定的なものにした。こうしてアメリカは、かつて独立戦争で排除し、連邦結成でも排除した近代国家の形成を受け入れるために、62万人にのぼる流血の犠牲を払ってステート・メーキングを行ったと、筆者は結論付けている。

 

どちらのアメリカが正しいのか、今日の中央集権国家としてのアメリカか、それとも国家の力は無いが代わりに諸州の自由を保証していた緩やかな連合としてのアメリカか、というこの南北戦争の争点で、私個人はどちらかに正義があると論評する事はできない。自分の国の歴史を振り返るなら、明治日本の版籍奉還・廃藩置県によって日本は富国強兵を推進したし、アメリカにしても、今日のような大国になるために必要な通過儀礼としての内戦だったのかもしれない。現代では逆に地方分権が推進されているが、それはいってみれば中央集権化に振れすぎた振り子を若干修正しているだけであり、ある国が成長する過程で中央集権化が最初から必要ではなかったとは決していえない。

 

ただ、この本の中で、南部の分離宣言とその論拠の記述を読みながら私が思い出した最近の出来事として、ソビエト連邦崩壊時の、ロシア・ベラルーシ・ウクライナ三共和国の脱退宣言を挙げて終わろう。脱退を協議する三国の代表達が論拠を探す過程でひらめいたのは、皮肉な事にソビエト連邦国歌の最初の歌詞だった。「自由な盟約によって固く結束した祖国よ永遠なれ」このフレーズから彼等は、自由な盟約に拠る連邦なら、脱退も自由にできるはずだという理論に至る。衰弱し矛盾が噴出した20世紀のソビエト連邦には、もはやそれを止める力は無かった。発展の途上だった19世紀のアメリカには、分離を抑える力と必要があった。そこに普遍的な正当性は無く、あるのはその時代ごとの要請といえるだろう。

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