ナショナリズムの経済への波及―レッセ・フェールの終焉―

 

冬月真弘

 

経済学者E. H. カーは著書『ナショナリズムの発展』において国民・国家の性質の変質をナショナリズムの発展という観点から三つの段階を設けて考察している。これらは具体的には国家が君主個人の所有財産であった第一期、民主主義によって国家は法人化されたがこの段階での民主主義とは中産階級の財産権と通商の自由を保障するもので政治と経済が分離していたブルジョワ民主主義であった第二期、そして労働者が政治に参加し民主主義が大衆化した事で彼等の生活水準の向上が要求され国家が経済に介入し計画するという社会主義的性格をも有するようになった第三期であり、以上の三段階を経た後の第四段階としてはナショナリズム自体の没落を示唆した後に、国際秩序の模索を行っている。

 

私がここで注目したいのはナショナリズムの発展を考察するに際してナショナリズムと経済の相互の影響に重点がおかれている事で、特に前半部分は政治的な国際秩序の安定、そして崩壊を経済的側面から説明できるという経済史的な分析になっているという印象を受けた。特にナショナリズムの第二期から第三期の移行の過程で説明された自由放任主義の終焉による国際秩序の崩壊は、同じ図式が第二次世界大戦前夜のドイツがおかれた状況にも当てはめる事が可能であると考える。重商主義が「御馳走の大きさは一定している」と考えるのに対して、自由放任主義は「御馳走の大きさは企業心または創意という個人の努力によって無限に拡大できる」と考えており、自由放任主義の思想を象徴している。実際には十九世紀の自由放任主義経済は、民主主義の享受対象が中産階級までに限定され国家の経済的役割はいわゆる夜警国家に留まっており、労働者が参政権を持たない国家で雇用等の問題は国益とは認識されず通商の便益の最大化のために人と物の移動が例え戦時下であっても行えた事、そして広大な植民地を持ちまた当時の世界が自由な輸出入が可能であった事によるイギリスの公開市場の提供があり、こうした要素に制約が加えられるようになった段階で自由放任主義経済は維持出来なかった。労働者の政治参加により国家はその社会生活・福祉に対して責任を負うようになり、結果労働者流入の制限や関税のように自由貿易に対して排他的になるいわば新重商主義ともいえる政策をとらざるを得ず『国家からの自由』であった十九世紀の自由放任主義は『国家による貧困からの自由』という二十世紀リベラリズムへと変容し、経済が政治と不可分になった事で国家間の対立要因が増し外交政策が柔軟性を失って戦争へと至る一要因となる。そして国民国家を主役とする戦争となった第一次世界大戦ではかつての君主による戦争と異なり国民の生活、経済活動への攻撃が行われ、また国民を総動員し計画経済を敷くというナショナリズムによる経済の社会化が為されるようになった。このように経済規模の無制限な拡大を前提とした自由放任主義経済はそれを阻む環境の変化によって機能しなくなり、無制限な拡大を期待して運営されていた政治体制・秩序を崩壊させる要因となる。これによって生じた悲劇のひとつが、二十世紀の世界恐慌によるドイツナチス政権の出現だと私は考える。第一次世界大戦後、連合国が特に英仏の強い要求によりヴェルサイユ条約でドイツに課した1320億金マルクという天文学的な賠償金はドイツの支払い能力を超えており、この不条理な条約に敗戦で困窮するドイツ国民の感情的な怒りが爆発する危険性があった。アメリカはドイツを救済するためにドーズ案を提案したが、このドーズ案の内包していた致命的な欠陥が、後にドイツ国民にヒトラーを選択させてしまう遠因となった。

 

ドーズ案はまずアメリカがドイツに積極的な投資を行ってドイツ経済を復興させ、経済的に復興したドイツが英仏に賠償金を支払い、英仏はアメリカに戦時債務を支払うという三段階の資金回収システムになっていて、一見資金が円滑に循環して賠償問題が解決するように思える。しかしこのドーズ案は、ドイツに投資するアメリカの経済成長がドイツの賠償金完済まで数十年間もの間持続する事を前提としてしまっていた時点で非現実的なものだった。

 

カーは自由放任主義経済の終焉を第一次世界大戦としているが、この大戦の後期まで中立国として軍需物資を輸出しまた本土に直接被害も受けていないアメリカは戦後好景気を謳歌しフランクリン・ルーズヴェルトのニューディール政策を経験するまでは例外的に自由放任主義にあり、先述したような無制限な経済規模の拡大を信じていたものと思われる。実際には1929年の世界恐慌によって苦境に立たされたアメリカはドイツからの資本の撤退をはかり、同時に英仏はブロック経済という自由貿易に対して排他的な手法による恐慌からの立ち直りをはかると同時にドイツに債務履行を求め続けた。フーヴァーモラトリアムによる限定的な救済までこのドイツにとっては二重苦三重苦の過酷な状態が続き、この間ドイツ国民の封印されていたヴェルサイユ体制への怒りが爆発したのである。ヒトラーは確かにシンボリックな悪役であるが、そのヒトラーをドイツ国民が選択しなければならなかった経済的要因もまた、我々は認識する必要がある。

 

「御馳走の大きさは企業心または創意という個人の努力によって無限に拡大できる」という危険な概念とその結果としての崩壊は、数年前日本が経験したいわゆるバブル崩壊にも見る事ができる。実態の伴わない株価の上昇と過剰融資は、ひとたび経済が小さく失速しただけで大きなカタルシスをもたらす。こと経済に関しては我々はそれが国家ひいては国際秩序に及ぼす重大な影響も考慮して、自然科学でいうところの質量保存の法則、すなわち富の総量は一定しているとの見地にたった、慎重な予測・行動が求められている。




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