Kanon 奇跡の価値は
平成16年11月 執筆:冬月 監修:赤木



 アニメーションを評価する上で大切な要素の一つに、物語の舞台、すなわち背景へのこだわりが挙げられます。今日人間の映像への美意識は極めて繊細なものであり、それ故背景は一つの芸術的に完結した世界であることが求められます。

例えば剥き出しのコンクリートの上で供されるフランス料理が、お客を本当に幸せにできるでしょうか。贅を凝らした一流の料理とは、華やいだ空間の中で洗練されたギャルソンにサーブされ、心地よい音楽を聴きながら純白のテーブルクロスの上で食べてこそ、一流の喜びを味わえるものです。

アニメの場合もそれと同様、どんなに登場人物やストーリーが緻密で魅力的に描かれていても、それらの背景の描き方が手抜きで雑だったら、見ている人間は無意識の内に不快感を覚えるでしょう。


 今回私が皆様にご紹介するKanonはその点において、ヒロイン達の魅力もさることながら物語の舞台となる街が持つある種の色っぽさ、艶に魅せられる、そんな素敵な作品です。

 親の転勤に合わせて北国の都市に引っ越してきた主人公、相沢祐一。そこは主人公が心の中で遠ざけ、いつしか忘れてしまっていた七年前の思い出の街でした。大切な何かを思い出せないまま、彼はそこで5人の少女と出会う・・・。思わず胸が切なくなるようなオープニングflorescenceの甘い調べから幕を開ける淡い恋の物語を彩るのは、白い雪と赤い夕焼けの、幻想的な競演です。

 雪の結晶をきらめかせながら、黄昏にしずむ街。

 舞い降りる雪も、記憶の中の情景も、少女たちの笑顔も、そして約束の場所も、何もかもが夕焼けに赤く染まった幻想的な世界。そして北国の空気の冷たさを表現するためでしょうか、全描写を通じて目には見えない不思議な透明感が漂っていて、そこに現実と幻想の狭間で苦悩し、それでも幸せになろうとして懸命にもがく登場人物たちを映し出すとき、その動と静というコントラストが見ていて本当に美しい。


 無論、背景の美しさだけでは名作と呼ぶには値しません。オープニングで掻き立てられた期待を裏切らないだけの内容が待ち受けています。それは物語全体を貫く、感動への黄金律といえるでしょう。

主人公が新しい街で出会った女の子と仲良くなって、一緒に冗談を言ってふざけあったり時には喧嘩したりもしながらほのぼのとした日々を過ごして行く内に、いつしかお互いの距離が狭まっていって、でもそのせいであるとき女の子が抱えている心の闇に気付いてしまって、それでも女の子への想いを胸に幸せを求め続けて、そして最後に奇跡が起こって、感動のハッピーエンドを迎える・・・。

こういったストーリー展開は今やアニメ、ゲームを問わず純愛系作品の定番となってしまいましたが、私はこういったお約束を悪いとは思いません。こうしたストーリー展開が見る人を感動させるために最も効果的だと証明されているから、多くの作品がこの手法を選んだ、それだけのことです。Kanonに代表されるkey作品はそのプロットと言えるでしょう。奇をてらったアンチテーゼと違って、どこまでも王道を行く作品は何度見ても飽きがこない。一つの傾向が長く続くのは、それだけ多くの人々の支持を受けているからです。逆に言えば人を感動させ続けるシナリオを新しく作るというのは、それだけ難しいということかもしれません。


 KanonはPCゲームの名門key/ビジュアルアーツのヒット作をアニメ化したもので、複数ヒロインとの純愛系ゲームとしての性格を色濃く残したアニメです。

マルチエンディングが取り柄のゲームを無理やり一つの物語に濃縮してしまうのだから、元からアニメとして作られた作品に負けない話にまとめるのはとても難しい。現にゲーム出身の多くのアニメは全てのシナリオに配慮した中途半端なものや、逆にどれか一つのシナリオに肩入れして他を犠牲にしたものになってしまっていて、ゲームファンはおろかアニメから入った人の期待にすら応えられない駄作になってしまっているという悲しい現状があります。

しかしKanonは各シナリオへ分岐する前の猶予期間が他のゲームと較べ長かったことが幸いして、5人のヒロイン全員の魅力を可能な限りアニメに盛り込むことができました。ゲームからのファンにとっても満足のいく仕上がりといっていいでしょう。しかもメインキャストには堀江由衣、田村ゆかり、坂本真綾など、豪華声優を惜しげもなく投入しており、アニメからご覧になる方は本当に幸運だと思います。


 さて、名優陣に生命を吹き込まれたヒロインたちですが、コメディシーンを経た先に見えてくる彼女たちの真の姿こそが物語の核心であることは、言うまでもありません。

彼女たちに共通していることは、その明るい笑顔の向こう側に、痛々しいまでに深刻な悩み、苦しみを隠していることです。心の傷は少女一人の力ではどうにもならないほどに深く、故に彼女たちはそれを克服して前に進もうとすることをあきらめてしまっている。静かな絶望が、彼女たちの心の時計を止めてしまっている。だから彼女たちは変わらない世界で繰り返しの日常を送っていて、それは傍目からはとても楽しそうに見えるのだけれども、本当はひどく悲しいことなのです。彼女たちにとってその楽園は終わりがないというより、既に終わってしまっているのですから。繰り返される世界の中で、緩やかに破滅へと向かいながら、何か変化が訪れるのをただ待ち望んでいる少女たち。そこで主人公の出番というわけです。


 歴代のkey作品主人公の例に漏れず、相沢祐一もまたツッコミが激しくていたずら好きな三枚目男です。
そんな彼が少女たちから信頼されるのは、日頃の辛口な言葉とは裏腹な内面の優しさがその行動に顕れているからでしょう。2004年に発売されたkeyの新作CLANNADにおいて、メインヒロインの古河渚は主人公岡崎朋也の事を「口は悪いけれど優しい人」と言っていますが、祐一の場合も同じことがいえます。とはいえ、彼にできることはたった二つです。ヒロインの傍に居続けること、そしてほんの少しだけ、背中を押してあげること。

些細なことのようですが、重大な局面で己に与えられた役割を的確に果たすというのは、見た目ほど簡単ではありません。そして最終的には主人公の強い想いが、奇跡を起こし彼女たちを救ったのだと思います。長く絶望に凍り付いていた少女たちの心は、祐一と過ごす日々の中で次第に癒され、やがて彼女たちはそこに希望の光を見出しました。ずっとあきらめていたのに、前に進もうと歩き始めるのです。それは祐一と育んでいく幸せという、守っていかなければならない大切なものを見つけたからに他なりません。


 Kanonはしばしば『世紀末の童話』と評されます。Keyが描く女の子とは、いわゆる絶世の美女ではなく、むしろ内面の純粋さ、素朴さを大切にしていますから、『童話』とは言いえて妙な表現です。

また『世紀末』とは物語の時代設定が1999年だからなのですが、私にはこの世紀末という言葉は単に年号を指すのみならず、『奇跡が起こることが許された世界』を意味しているように思えてならない。私たちが生きるこの世界には、都合良く奇跡を起こしてくれる神様などいません。神はすべての人間に公正に無慈悲ですから。それでも人間はあがいてしまう。人間は愚かだから、神が奇跡を起こさないのなら、人の想いが奇跡を起こせるのではないかと期待してしまうのです。そんな私たちにKanonは希望を与えてくれます。それが実際にはありえないファンタジーだとわかっていても、私たちは純粋に感動してしまう。あくまで科学的裏づけにこだわっていては、この感動は生まれないでしょう。

だからこそ、Kanonはファンタジーでなければならなかったのです。ヒロインの一人、美坂栞は主人公にこう語っています。

「だって・・・お話の中でくらい、ハッピーエンドが見たいじゃないですか。辛いのは、現実だけで充分です。幸せな結末を夢見て・・・そして物語が生まれたんだと、私は思っていますから」


 物語をご覧になれば気付くと思いますが、美坂栞には他の4人のヒロインと較べて大きなハンディがあります。ともすればファンタジック一色なこの世界で、彼女だけが魔法や奇跡を期待できない辛い現実を見据えて生きることを強いられてきた。故に同じく現実の世界で生きる私たちにとって、彼女の発言には重みがあります。「起こらないから奇跡っていうんですよ」とはあまりに有名な栞の格言ですが、ファンタジー作品の登場人物が口にする台詞として、この言葉はやや異質です。幻想的なKanonの世界で、敢えて奇跡を否定する現実的な少女をヒロインとして配置したのは何故なのでしょう。


 今私たちの周囲には、様々な媒体でファンタジーが氾濫しています。.少年が日常的に分身の術を使い、人形が紅茶を飲み、最新鋭のイージス艦が60年前にタイムスリップする。

超常現象を当たり前のようにこれでもかこれでもかと見せられている私たちは、いつしかファンタジーに対して鈍感になっているのではないでしょうか。Kanonで起こる奇跡も、そんな演出上の小細工として使い捨てにされるような安っぽい奇跡なのか。その問いかけにKanonは誇り高くNOと答える。栞の言葉は奇跡の持つ本来の価値を私たちに思い出させてくれます。代償を払わずに得られる幸せなど、虚構でしかないのだと。故にただ同然で天から与えられる奇跡など意味は無く、懸命に苦闘した末のたった一つの奇跡にこそ、価値があるのだと。奇跡がいかに起こりえないかを噛み締めたとき初めて、奇跡の尊さを理解できます。そしてその上でなお奇跡を信じることができる人間は強い人間です。

 さあ、貴方もKanonの世界で、共に奇跡を信じてはみませんか?
奇跡は起こしてこそ価値のあるものですから。


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