フランス・スカーフ登校禁止の是非を論ずる

 

冬月

 

2005625日、パリ北東の学校を舞台にフランスのスカーフ登校禁止がもたらした混乱を生徒、教師、推進派と反対派の姿を通しておったBBC WORLDのドキュメンタリー番組を見た。

フランスでは、スカーフを着用しての登校が法律で禁止された。二学期から、かぶって登校したら最悪退学となる。推進派は、この法律はイスラム派を特定して差別しているのではない、ただ信仰は個人の問題であり、公共の場所である学校に宗教を持ち込むべきではないと主張する。推進派のこのような主張の背景には、フランス革命で王権を否定して以来200年間のフランスの国是である宗教と社会の分離という原則がある。しかし、新たに移住してきたイスラム教徒は、これを人権無視だと強く反発し、両方がデモを行うまでになっている。

反対派は、スカーフはイスラム教徒の権利で、教育は宗教の一部だという。「とれといわれたら裸になった気がする」という女生徒の発言も紹介された。法が施行されれば自主退学するという生徒もいる。

法律の解釈は各学校の校長に委ねられていて、実際に法律が施行された場合それをどの程度の厳格さで学校に適用するかは校長が判断する事になる。VTRに登場する学校は比較的柔軟で、バンダナは許可するという妥協案を探ろうとしたが、その妥協をもってしても衝突を回避しきれなかった。

このような法律が疑いをもたずに受け入れられる背景として、フランスの大多数の教師、教師の組合が推進派である事が挙げられる。登場する推進派教師の言う理屈は、「イスラムのスカーフは、男性を寄せ付けないため女性が身を隠す象徴であり、個人の選択であれ他人を阻害するものであり学校では認められない」「親から強制されているだけで本人の意思ではない」等である。一方でVTRの中では自分の意思でスカーフ着用を望む大勢のイスラムの女生徒が描かれている。彼女達の親は教育を受けられなかった貧しい世代で、子供に教育を受けさせたいと思っている。そのためスカーフを外すよう子どもに説得する親もおり、にも関わらずスカーフをつけている生徒は親から強制されているどころか指示に逆らってまでつけようとしているのだから、つまり自分の意思でスカーフをつけていることになる。

教師の中には少数派であるが反対派もおり、これはイスラム教徒への人種差別ではないか、かぶりたいと自分から望む生徒を犠牲にするのかと疑問を投げかける。また、生徒だけでなくイスラム教徒の教育実習生もスカーフをとるように強制されている。

 VTRの学校はバンダナで妥協して二学期を迎えたが、校長も「宗教を学校に持ち込むな」という教育宗教分離主義の信奉者である事は変わりなく、二学期の初日から校門で一人一人の服装を細かくチェックして、バンダナは許可するが、あまりに宗教的なものは許可しない方針をとった。

だがこのような方針は、何が宗教的か、その判断は校長や現場の教師の主観に委ねられることになり、実際VTRで映っていた服装チェックでは、他の国ならハラスメント行為だといわれてもおかしくない言動が多数見られた。

これを単なるイスラムへの迫害でなく、二つの「宗教」の対立と見るとらえかたもある。政教分離は革命以来、フランスの宗教、アイデンティティーだったからだ。パリ郊外の500万人のイスラム教徒と、保守派フランス人の対立感情は高まっている。保守派フランス人は、アラブ系の女性ソアンさんが火あぶりにされた事件から、「彼女は自由であろうとしたから殺された」として、パリ郊外にイスラム原理主義が蔓延していると主張する。

また、イラクでフランス人のジャーナリスト二人が人質にとられ、犯行グループがスカーフ禁止法の中止を要求してきたが、これには両陣営が反発した。VTRではフランス人の老人が「布切れ一枚で人を殺すのか。そのスカーフをとれ」などと、イスラム教徒を攻撃する発言をしていたが、政府としてはこのような形での分裂は好まず、ドビルパン外相がパリのモスクを訪問し結束を呼びかけた。

問題の学校では、二学期からイスラムの生徒たちは、校門までスカーフをつけていって校門前でバンダナに着替える者も。

服装チェックでは、「耳が出ていないとだめ」などといわれ、頭だけでなく全体の服装までじろじろみられる。「君の着ている黒は宗教的な意味合いがある」など、まるで不良の服装を注意するかのような侮辱的な検査でイスラムの生徒達は憤る。どうも校長側は、バンダナで妥協するというのは本心でなく、いきなり全面禁止にしたら反発が大きすぎるだろうと考え、バンダナで妥協すると約束しておきながら実際にはこうした日々の執拗な取り締まりで宗教的な服装を段階的に減らしていこうと考えていたようだ。

「ぬがないのは原理主義者」、「真冬にそりに乗るような格好」と親を呼び出すなど、数々の暴論が飛び出す。学校によっては、頭に何もかぶってはいけない法解釈をしたところもあった。そうやって、バンダナも次第に認められなくなっていく。

この「かぶらせないための戦い」と「かぶるための戦い」の対決の最後に、数字が示される。法が施行されてから、このVTRまでに実際に50人が退学になったそうだ。

 

以上がこの番組の内容で、以下は私の個人的感想である。

番組の中で行われていた行為は明らかに、公共と宗教の分離というフランスの「宗教」によって行われるイスラム教徒への人権侵害に他ならず、少なくとも日本が取り入れたタイプの民主主義的な価値観では認めがたい。二学期からの取り締まりで校長は何度も「これは法律なんです。法律を守りなさい」と自身を正当化しているが、これは典型的な古い大陸型の「法治主義」であって、戦後日本が取り入れた英米型の「法の支配」とは違う。

悪法でも法を守る考え方では、かの悪名高い人種法で合法的にユダヤ人を迫害したかつてのナチスドイツと何が違うのか。

民主主義国家の法とは、その前提として自由や人権といった規範を原則とするべきで、それを逸脱した法はいかに議会で可決されようと正統性を持たない。

 確かに、自由の尊重も行き過ぎると国家国民の結束にひびを入れかねない。日本の場合はこれもまた極端で、自国の国旗・国歌を学校の行事で用いるかどうかで足踏みしているのだから、フランスのこんな状態を知ったら多くの日本人が驚くだろう。しかも日本の国旗・国歌の問題は左翼的思想を拠り所とする日教組が圧力団体としての影響力を維持するための一種の示威行為で、彼らのメンツの問題でありこの問題で切迫した人権侵害の危機にさらされている一般国民は一人もいない。一方でフランスのこの状況は、はるかに切迫した宗教・民族の危機である。

日本の国旗国歌問題もフランスのスカーフ問題も、どちらも極端である。フランス人は、自国のアイデンティティーを守りたいのは理解できるが、にしてももっと穏やかな手段があったはずだ。イスラムの象徴であるスカーフをピンポイントで攻撃して感情を逆なでし、しかも弱い立場である女生徒を攻撃対象にすれば、「弱いものいじめ」に等しい印象を与える不当な迫害となって、これが原理主義やテロリストの温床になることがどうしてわからないのか。これを見る限り、フランス人はインドシナやアルジェリアでの敗北から何も学んでいないように見える。

確かに、イスラム教徒の流入がフランスの従来の秩序を脅かしているのは事実だろう。だが、こんなただ押さえつけるだけのやり方で平定できるはずがない。スカーフ禁止をフランス人側に同情的に理解しようとするならば、移民を受け入れつつ国民国家フランスとしての結束を維持するためだろう。だが民主主義国家の秩序とは、個人の自由、人権といった民主主義的原則の範囲内で保つよう努力すべきだ。

フランスの政教分離という価値観、ナショナリズムとイスラム教徒の二つの価値観による文化戦争(Cultural War)を解決するものがあるとすれば、それは中庸の精神からくる柔軟な妥協であろう。

また、この問題は日本人が一方的にフランスのやり方を非難できるものでもない。なぜなら、日本は未だ国家の将来と移民という問題に答えを出す事ができないでいるからだ。


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