フランクリン・ルーズベルトの国家戦略―孤立主義からの変革―

平成19年6月 冬月

 

バランス・オブ・パワーの限界から発生し独裁者が暗躍した第二次世界大戦の帰趨において決定的な役割を果したのはアメリカの参戦であり、伝統的に孤立主義的傾向が強かったアメリカ世論を参戦へと動かしたのは時の大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトの意思によるところが大きい。
当初の国民の世論とは逆の方向に国を動かす事に成功したルーズベルトの行為は立つ側によっては詐術とも功績ともとれ、特にアメリカとの戦争の当事者である日本では、『外交』第
15章冒頭で監訳者が指摘しているように、今日に至るも真珠湾攻撃に関する一種の陰謀論が盛んに議論されている。

アメリカがその道義的価値観に基づいた説明によって起こす戦争に、スターリンが探ったような隠された『究極の動機』、すなわち道徳という建前の裏側にある現実的利益に基づく動機があるのではないかと懐疑しアメリカの正義に欺瞞を見出そうとする研究が熱心に行われているのと同様に、その開戦への手段にもまた欺瞞があるのではないかという研究もまた一部研究者によって熱心に行われてきた。
ルーズベルトは国民に対して、「攻撃を加えられた場合を除いて」外地での戦争に参戦しないと保証してきた。
だがその一方でルーズベルトはイギリスをより強力に支援する必要にも迫られていた。
ルーズベルトはチャーチル首相に、「私は決して宣戦はしない。私は戦争を作るのだ」と語ったといわれている。
[1] また19451115日、アメリカ下院調査委員会で証言したスチムソン陸軍長官は、19411125日のホワイトハウスにおけるルーズベルト大統領とハル国務長官、スターク提督との秘密会合において、次のように述べた事を告白している。
「日本人は無警告で攻撃するという悪名が高い。日本に最初に撃たせると危険もあるが、アメリカ国民の完全な支持を得るためには、確実に日本人に最初に撃たせることが望ましい」
[2]さらにその夜の日記にスチムソンは「問題はいかに彼等を誘導して、我々があまり大きな損害を蒙る事なく、最初の弾を撃たせるかだ。これは難しい計略だ」と記している[3]

では仮にこうした多少なりとも手段を選ばない行為が実際にあったとしても、ルーズベルトは何故従来のアメリカの孤立主義を超えて、アメリカの安全に直接は関係しないと主張されていた戦争に参戦しなければならなかったのか。そのためにはアメリカの伝統的な孤立主義を考察する必要があるだろう。

モンロー主義に代表されるアメリカの伝統的な孤立主義政策が実際に長年にわたりアメリカにとって有用であると多くの国民が信じてこられたのは、一つにはアメリカの地理的な特質に由来する。
アメリカ大陸は、太平洋と大西洋という二つの大洋によって旧世界であるユーラシア大陸から完全に隔離されている。
19392月に孤立主義者の立場から演説したアーサー・バンデンバーグ上院議員によればこの二つの大洋がアメリカの安全を守る『神の恩寵』であった。
米英戦争以降はこの長大な大洋を渡ってアメリカを圧倒する軍事力が上陸を試みる可能性はほぼ皆無であり、ユーラシア大陸でいかなる争いが行われていてもそれはアメリカの安全にとって脅威とはならないので、アメリカは道義的価値観からユーラシアの非道徳的な状況に眉を顰める事はあっても、介入して無用の犠牲を出す事はしないというのが、孤立主義者の常識であった。


対してルーズベルトは19394月、ドイツのプラハ占領の直後に、世界(ユーラシア大陸も含めた全世界)のどんな小国であれ、その政治的・経済的・社会的な独立の維持はアメリカの安全と繁栄に影響を及ぼし、どの一国が消滅しても、アメリカの国家的安全と繁栄を弱めると述べた。
ルーズベルトはユーラシア大陸でドイツが行っている侵略が、アメリカの安全に対する脅威だと認識したのである。
それは単にユーラシア大陸をアメリカにとっての市場として見た場合の経済上の不利益に留まらず、文字通り軍事的な脅威という認識も含まれている。
どのような論拠からルーズベルトは、こうした孤立主義の前提に反する主張を展開したのか。


アメリカの国務長官経験者で国際政治学者キッシンジャーの著書『外交』には、ルーズベルトが米州連合で行った次のような演説が紹介されている。
それは明らかに、アメリカの伝統的孤立主義の論拠となってきたアメリカ大陸の地理的特質に対する反論である。

「ほんの数年のうちに航空部隊が、今日ヨーロッパの中の内海を渡っているのと同じくらい簡単に大洋を横切ることは疑問の余地がないだろう。
世界の経済制度はそれゆえ必然的に一つの単位になる。
将来においては、どこで経済制度に支障を来しても、あらゆる場所での経済生活が破綻する。
過去の世代は、このアメリカ大陸が一緒に行動するようになるための原則とメカニズムの建設にかかわっていた。
しかしこれからの世代は、新世界が旧世界と一緒に生きる方法にかかわるようになるのだろう。」

伝統的な孤立主義によってヨーロッパやアジアの戦争とアメリカの安全は関係ないと考えていた国民を巧みに誘導し、真珠湾陰謀論を多少なりとも信ずるならば本来彼等が嫌うべきところの道義に若干悖る計略まで用いてアメリカを第二次世界大戦へと介入させたルーズベルトの行動の意味を考える時、この演説はルーズベルトの一つの答えたり得る。大洋の向こうで戦争が起きたり、その結果独裁国家が覇権を握るような事態が、これまでの孤立主義者の考えていたようにアメリカにとって無関係ではなく、こうした事態をアメリカが放置しておけばやがてアメリカの繁栄を経済的にも軍事的にも脅かしかねないという、直接的な安全のみを考える短期的予測ではない、より長期的な視野に立ったアメリカの利益を考えて、ルーズベルトはアメリカを参戦へ動かしていったのではないだろうか。

最後に、ルーズベルトがこの演説を行った時には多くの人が空想的過ぎると思ったに違いない冒頭の言葉、「ほんの数年のうちに航空部隊が、今日ヨーロッパの中の内海を渡っているのと同じくらい簡単に大洋を横切ることは疑問の余地がないだろう。」が、的確な予言であった事を証明したい。

1941年アメリカの参戦の後ドイツ空軍当局は、ヨーロッパ大陸西岸の基地から大西洋を越えてアメリカ東海岸を爆撃できるレシプロエンジン六発の長距離爆撃機の開発を、メッサーシュミット、フォッケウルフ、ユンカースの三社に命じた。
このうちメッサーシュミット社とフォッケウルフ社は図面のみに終わったが、ユンカース社は既に完成していた四発型の
Ju280を六発化した、全幅50メートル、全長34メートル、総重量75トンのJu390を開発、三社の中で唯一図面のみならず実機を完成させ、試作二号機はフランスの基地からアメリカ東海岸のニューヨークのすぐ沖合いまで飛び、往復32時間に及んだテスト飛行に成功している。[4]

戦況の悪化によるアルミや燃料の不足で計画は中止されたが、日本の富嶽計画のような机上の空論ではない、実態のある爆撃計画をドイツは確かに完成させていた。
もし仮にアメリカの大統領がルーズベルトではない誰か伝統的な孤立主義者で、アメリカが第二次大戦に参戦せずヒトラーがヨーロッパに生き長らえていたとしたら、独裁国家の温存と技術革新によって、孤立主義者が頼りとしている大洋は、もはやアメリカの安全を守るに十分ではなくなっていただろう。
ドイツの侵略をアメリカの安全に直結させたルーズベルトの思考は当時の孤立主義者達にとっては論理が飛躍しているように感じられただろうが、ルーズベルトは独裁国家を野放しにする事によっていずれ大洋を越えた脅威がアメリカに降りかかる事をも予期していたのではないか。


だとすれば仮に真珠湾陰謀論のような虚飾があったとしても、より長期的な視野で見ればルーズベルトにとって第二次大戦への参戦は、アメリカの防衛戦争であったと言える。20世紀の目覚しい技術の進歩は時間と空間の隔たりを短縮させ、世界を狭いものにした。
その過程でアメリカの国家戦略が伝統的な孤立主義からルーズベルトによって変革させられたのは、あるいはルーズベルト個人の理念を超えた歴史的必然だったのかもしれない。

 

  



[1] カーチス・B・ドール『操られたルーズベルト』(プレジデント社、1991年)71ペイジ。

[2] 同上68ペイジ。

[3] 同上65ペイジ。

[4] 碇義明『爆撃機入門』(2000年、光人社)194ペイジ。



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