2005年度アニメーション研究会新入生歓迎号・代表挨拶


『アニメは乗り物・・・・・National Strategyという視点に立ったアニメーション研究を』


 先日研修目的で渡米した航空宇宙学科生の友人から、ケネディ宇宙センターのNASA職員がNARUTOのストラップを使っているのに驚いたという話を聞きましたが、私も海外を旅していると日本アニメの隆盛に感心させられることがしばしばです。
特に以前は海外で日本アニメが流行っている国といえばアメリカやフランス、もしくは北欧が一般的でしたが、最近では日本との経済的文化的な結びつきが強まっている韓国や台湾、東南アジア、オーストラリアなどでも日本アニメの進出・現地社会への浸透が顕著です。もっともオーストラリアの片田舎で偶然通りかかったバザーで『藍より青し』のDVDを見つけた時は、私も流石に我が目を疑ったものですが。

このように日本人がつくったものが異国の方々に気に入って貰えることは日本人としては光栄な限りなのですが、一方で彼等がアニメの中身を正しく理解してくれた上で日本アニメを評価してくれているのか、シナリオは全然わかってはいないのに単純に映像が綺麗だから見ているだけではないのかと、不安になる方もおいででしょう。
例えば近年日本で脚光を浴びた新海誠の『ほしのこえ』という作品では、宇宙を舞台にしたSFに、携帯メールでの長距離恋愛という現代の日本の若者にとって大変身近に感じられるテーマを組み合わせることによってジャパニメーションの新境地を実現しています。      
ところがではその感動がそのまま外国人にも伝えられるのかといいますと、そこには文化・習慣の壁が存在するわけでして、すなわち欧米ではメールとはパソコンを使ってやりとりするもので、携帯でメールを送る習慣は無く、そういった仕様の携帯も流通していない。現にニューヨーカーは世界一忙しい人たちだといわれているのに、ニューヨークの街を歩いてみてもほとんどの人は携帯を電話機として使っているだけで、日本人のように親指で携帯にメールを打ちながらせわしなく行き交う人々の姿などどこにも見ることはできない。パソコンのキーボードでしかメールを打たない欧米人に言わせると、箸を使い親指だけでメールを打つ日本人は手先が器用すぎるそうで、携帯メールというのは我々が普段意識していないだけで実は立派な日本固有の文化なのです。
片手の親指だけを使い、それも限られた字数で相手に自分の想いを伝えなければならないもどかしさ、なかなか返信が帰ってこない時の不安に駆られる気持ち、メールの受信を確認した時の期待感、握り締めた携帯の温もり・・・。挙げ始めればきりがありませんが、我々日本の若者が携帯電話に抱いている感情が、単なる通信機械に対するそれとは異なる特別で情緒的なものであることに、同意される方は少なくないかと思います。
では私がここで新海誠のアニメが日本の若者にしか理解できないから残念だと申し上げたいのかといいますとそうではなくて、逆にそこで諦めず、伝えようと試み続ける積極性を持って欲しいと申し上げたい。
現に日本式の携帯で育った韓国や台湾、東南アジアの若者の中でも『ほしのこえ』は高い評価を得ておりまして、彼等はこの物語が訴えていることが何なのか真に理解しているはずです。そしてこの同じ感動を共有できる、国境を超えたシンパシーこそが、我々にとって最大の武器になります。

グローバリゼーションはアメリカ覇権主義を正当化するための方便だとおっしゃる方がよくおられますが、グローバリゼーションがもたらす情報の氾濫の帰結はむしろ世界のマルチメディア化に他ならず、往年のディズニー作品のように世界規模で爆発的にヒットし、なおかつ人気が持続する、いわゆるメジャーなアニメをつくることは難しい状況になっています。
逆に無数の角度から多様な価値観を提供し続ける日本アニメの人気は、今後半世紀は衰えるどころかさらに高まっていくでしょう。軍事侵攻にも経済進出にも拠らずに自国の価値観を世界に伝播していこうというこの考えはメディア・インペリアリズム(情報帝国主義)と呼ばれていますが、その意味で日本は今三度目の挑戦をしているといえます。
このように国家戦略産業として重視すべきアニメーションが、肝心の日本国内において官民を問わず多くの人間から重視されていないのは、我々にとって大いに皮肉なことと言えるでしょう。

日本でも国際化が叫ばれて久しいですが、他国の文化を一方的に受信しているだけではそれは真に日本が国際化に参加しているとはいえません。国際社会というフィールドに立って参加者としての役割を果たしていくためには、日本もまた自国の文化、アイデンティティーを積極的に世界に発信していく必要があるのです。
今、アニメにはそのための乗り物としての役割を果たせるだけの力があります。
やたらと大風呂敷を広げた話をしておりますが、これはなにも国家レベルだけに限った話ではありません。国家とは人の集まり。アニメを愛好する一個人として、人々との関わり合いの中で自分は何をするべきなのか、私が問い続けてきた命題と重なるからこそ、真剣に議論する価値があると信じております。

アニメという乗り物を通して我々は他者の心に何を伝えられるのか、人はアニメから何を感じ取れるのか。
そのことを想い、アニメと接していくのもひとつの正しい道ではないでしょうか。
アニメーションにとって最大のテーマは、人間の心なのですから。


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